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ギョレメ国立公園とカッパドキアの岩地
目を見張るような景観は、浸食の完全な彫刻である。ギョレメ渓谷とその周辺は、ポスト聖像破壊運動時代のビザンチン美術のユニークな証を示す、荒削りな岩の聖域となっている。住居跡、修道士の谷と地下都市・・・4世紀まで遡る、人類の伝統的な暮らしの形跡・・・もここに見られる。
カッパドキアの岩の聖地は、最高な自然の姿の地域におけるユニークな芸術的業績を構成しており、ポスト聖像破壊運動のビザンチンのかけがえのない証を見せている。住居や村の修道院や教会は、4世紀からトルコの侵入の間のビザンチンの、時間に取り残された地というイメージを彷彿とさせる。
ギョレメ渓谷の浸食された台地は、風雨によって堆積した凝灰岩の浸食の影響でできた、壮観な例である。典型的な形は岩柱、塔、オベリスク、40mの高さのあるとがり岩などである。浸食の主要な遺物であるアク山(1325m)は、渓谷の最も特徴あるものである。エルジェス火山は今でも時折小噴火を起こす活火山である。その目だつ姿は地球の進化の歴史を表している。これらの岩層の中に人々は、避難、抵抗、貯蔵そして4世紀からは礼拝場となった場所を提供する岩のネットワークを掘った。周りの景観は、散らばったいくつもの小さな田舎の農地である。
歴史的背景として、洞窟教会と異常に浸食された地形が交じり合って珍しい文化・自然の景観ができた。建築スタイルはその地の岩が土台となっており、渓谷は何世紀にもわたって少しずつ姿を変えてきた。
この地は人類によって何世紀もの間広範囲にわたり使われ修正されてきたにもかかわらず、結果として生じた景観は、自然の地形の本来備わっている価値と見事に調和している。時に地震が円錐岩と岩柱にダメージを与えることがあったが、これは自然に起こる現象である。カッパドキアの台地の景観の中の遺跡は、自然の浸食が凝灰岩を塔や尖り屋根、ドーム、ピラミッドの形に変え、そこに人が独居房や教会、世界で最も大きな洞窟住居を内包する洞窟の街を加えた。地質学的また民族学的に興味深いが、この現象的な岩窟地は、特に、カッパドキアをポスト聖像破壊運動期の美術の先達的な例の一つにしている特色を持つキリスト教徒の聖地の内装の比べ物のない美しさにおいて秀でている。
カッパドキアの修道院活動の始まりは4世紀で、カエサリア(カイセリ)の司教・聖バシリウスの教えにより、修道生活の小さなコミュニティーが作られ、岩に彫った独居房に人が住むようになった。後に、アラブの攻撃に対抗するため、修道士の村や、避難場所として使われていたカイマクルやデリンクユ地下都市などにおいて人々は結束するようになった。
カッパドキアの修道生活は、聖像破壊運動期(725-842)にはすでに定着していたが、842年以降に多くの岩窟教会がカッパドキアに造られた。これらの教会はきらびやかに彩られた贅沢な装飾で飾られた。その中のギョレメ渓谷にあるものは、トカル教会、エル・ナザル教会(10世紀)、バルバラ教会、サクル教会(11世紀)エルマル教会、カランルク教会(12世紀末から13世紀初期にかけて)などである。
☆世界遺産リスト
ギョレメ国立公園は、1985年12月6日から今日まで自然・文化複合遺産としてユネスコ世界遺産のリストに登録されている。
妖精の煙突
伝説によると、ギョレメの「妖精の煙突」と呼ばれる地では、人間と妖精が一緒に暮らしていました。妖精たちは何事につけても人間に協力し、宴であらゆる楽しみを提供し、催し物でブドウ酒の中に入り込んで人間を酔わせていました。どこで宴会や催しが行われようと、妖精はそこで人間に奉仕していました。このように妖精と人間の暮らしが続いていましたが、ある日人間の王の息子が、妖精の王の娘に恋をしました。人間は深く深く考え込み、「妖精の血が我々の間に入り込むと我々はどうなるだろう?」と不安に陥りました。その結果妖精に対し戦いをしかけ、狩人の格好で妖精たちの住む岩に襲い掛かりました。一羽ずつハトになって飛び立った妖精たちは、その日から今日までこの地の数え切れないハトの巣で暮らし続けています。アヴジュラルの町は、妖精に戦いを仕掛けた狩人の里だとされていますウチヒサルとオルタヒサルは、防御地点です。ギョレメ地方の地下都市には、一時期怪物が棲んでいたと信じられています。お互いに開いた部屋のドアの、粉ひき岩の大きさのかんぬきが、この話の証拠です。民衆はこれに「怪物の町」という名をつけて中に入らず、もし入ればドアがひとりでに閉まり、中の者が罰を受けると信じています。