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陶芸
陶芸は、純粋な粘土から手または陶芸ロクロを使って、様々な寸法の型に流し込んで形を作り、かまどで焼いて作った土の皿、陶器、つぼ、花びん、甕を作る工芸です。白い土から作られ、表面がうわぐすりで塗られたタイルは、陶芸には数えられません。
古い手法では、陶芸の粘土の用意と形作りは、粘土層の上の純粋な泥をろ過して、中の小石のかけらを取り除いた後、石または木槌で叩いて作っていました。粘土層に少しだけ水を加え、ろ過された粘土の土を型に流して固め、または真ん中を彫っていろんな形にはめていました。
新しい手法では、粘土はたっぷりの水で濡らして液化させ、ろ過されます。ろ過されたこの湿った泥を一定の濃さになるまで乾かした後、手で形を作ります。最近は、粘土は型に流し込んで使われています。
古い手法では、陶器は太陽にさらして乾かしていました。もっと後になると、火で乾かすようになりました。18世紀には陶器乾燥用のかまどが作られ始め、19世紀にはトンネルの形のかまどが使われるようになりました。陶器を運ぶ台車は、陶器が焼きあがる寸法でかまどの中から通り、冷ます場所で一時置いておき、その後作業が終わって焼きあがった陶器が取り出されます。最初の天火乾燥では、粘土は少しずつ水分を失っていきます。陶器にひびが入らないように、熱を上げすぎないようにする必要があります。熱が600度を超えると陶器は赤みを帯び、粘土は水分を完全に失います。陶器の乾燥の際に空気が入ると、炭素がはじき出されます。空気が入らなければ、陶器の密度があがります。 土の容器に塗ったうわぐすりは、粘土、石灰、鉛、石英、ホウ砂そして何種類かの物質と入り混じります。うわぐすりは容器を飾り、水が通らないようにするために使われます。水に接しても溶けません。焼きあがった陶器の上に、湿った状態で塗った後乾かします。もう一度天火で乾かすと、この物質は溶けて細かいガラスのような層になります。
粘土のかたまりは種類豊富な物質からなっているため、いろんな色になります。初期の陶器の装飾付けはこの方法で作られていました。もっと後になるとうわぐすりは使われなくなりました。染色は、うわぐすりの中に混ぜこまれ、またはうわぐすりを上と下に塗って行われます。
昔は、装飾は土のカップの表面に、手で、または彫って、または表面にいろんな種類の色の粘土を塗って行っていました。
もっと後になると、いろんな種類の色やデザインを、うわぐすりの下または表面に塗って装飾するようになりました。
陶芸は、発掘によると、紀元前5000-4000年にまでその歴史を遡ることがわかっています。どの文化でも、陶芸はそれぞれに固有な特徴を持っています。
エジプトで起きた文明では紀元前5000年ごろ、イランとパレスチナで起きた文明では紀元前4000年ごろに陶芸が行われていたことがわかっています。アナトリア文明では、陶芸技術は紀元前6000年まで遡り、一回り上を行っています。メルスィン、チャタルホユック、クズルカヤといった中心地で濃い色のつやのある陶器が見つかっています。トロイ、ヨルタン、ポラットル、クスラ、ベイジェスルタンや、南アナトリアの集落で紀元前2900-2600年のものである、手で作られた濃い色のデザインの陶器が発見されています。紀元前2600-2300の時代には、時とともに陶芸用ロクロが使われるようになりました。紀元前2300-1900年ごろには、使われた陶器が、前述の特徴とともに、赤または赤みがかった下塗りで覆った後、濃い色で、線上のデザインで装飾され、またいくつかのものは1色でつや出ししたものや、人間の表情が書かれているものがありました。
紀元前1900-1600年ごろは、ヒッタイト時代と重なり、幾何学模様が周りにある動物の姿を描いたものがあります。
中央アジアでは、陶芸は紀元前3000年にまで遡ります。突厥時代の容器は、口の狭いつぼや口の広い陶器からできています。カルルク人が広がった地域では人と動物を描写したもの、チュー谷で見つかったものでは動物の形のものがあります。カラハン朝では、人や動物の描写は消え、その代わりに様式化された植物のモチーフが使われました。イスラムを受け入れた後のトルコ人は、タイル、磁器などをより多く作るようになりました。
アナトリアのセルジュク朝では、かなり粗雑な作りの、ビザンチン人の使っていた赤の床の上に、緑、黄色、茶色の、陶器に似た容器を使っていました。クバダバトとコンヤの城からは、この陶器の種類のかけらが見つかっています。
オスマン時代には水がめなどの粗品が、焼いた土から作られていました。チャナッカレ陶器の歴史はとても古く、そこで作られているのは大半が緑、黄色、濃い茶色の、うわぐすりを塗った陶器でした。またイスタンブールのアナドル・ヒサルのギョクス、アダパザル、M・ケマルパシャ、イネギョル、ギョネン、メネメン、キュタヒヤ、エスキシェヒル、アヤス、コンヤ、アヴァノス、ディヤルバクルといった国内のいろんな場所で陶芸が行われており、陶芸は今日もそれらの地で息づいています。