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チャタルホユックの新石器時代遺跡
チャタルホユックの広大な古代遺跡は、南アナトリア高原のコンヤ平原の20m上に2つのテル(石や日干しレンガ造りの家屋からなる定住地で建設が繰り返された結果、堆積して丘状になったもの)を形作っている。東のテルの発掘では、紀元前7400~6200年にまで遡る新石器時代の18層が現れ、先史時代の社会構成と文化的慣例の進化のユニークな証拠を見せ、初期の人類の定住生活と農業への適応のさまをさらけ出した。西のテルの発掘ではまず、紀元前6200~5200年からの銅石器時代の層が現れ、初期の文化的慣習が継続していたことを示している。
チャタルホユックは良く保存された新石器時代の集落のとても珍しい一例で、ここ数十年、人類の先史時代を知るためのキーとなる地の一つとして考えられてきた。この地はその大きさと定住跡の保存期間、その背中合わせに接した住居の特有な設計、壁画を含んだ姿形の大きな集合体の存在そして住民の象徴的世界を表すレリーフにおいて特別である。広範囲にわたって記録された調査の土台において、先史時代の共同体の農業生活を立証する人類の重要な集落が見られる。
チャタルホユックは新石器時代のユニークな証であり、最初の農業集落が中央アナトリアに作られ、広い平等主義に基づいて、何世紀もかけて、村から都市の中心地へと発展した。これらの集落の初期の原則は、何世紀かにわたってその地が遺棄されていた間もよく保たれた。この原則は都市の設計や建築物、壁画や埋葬地に見られる。18層の地層配列は、ゆるやかな発展の特別な証であり、集落の再構築と拡大を現している。
チャタルホユックの家々は、隣近所同士の間に道がなく、取り囲まれた活動の場の分布を表す住居の型が、先史時代の顕著な集落の型を形作っている。住居の類似した大きさは、街を通して、共同体と平等主義に基づいた都市設計の初期の型を例証している。
2000年にわたる先史時代の集落の発掘された遺跡は、よい状態で保たれている。2つの古墳塚が近郊の平原にあり、無傷の状態を保った独特な景観を構成している。2つの主要な発掘現場の上に造られたシェルターが、気候の直接的な影響から考古学建造物を守っており、それにより浸食や降雨のもたらすダメージを少なくしている。
チャタルホユックの遺跡は、素材、物質、位置、そして環境において本物である。40年以上の良く記録された調査と発掘は、初期の先史時代の集落についての事象の解読をより簡単にするものである。遺跡とその発掘はよく保たれている。古墳塚の規模は、この遺跡が1958年に初めて発見されたことからあまり変わっていない。
チャタルホユック遺跡は、2012年以来ユネスコ世界遺産リストに登録されている。