トルコ人は居住地を頻繁に変え、世界の多くの場所に広がり、歴史の中で、多くの文化や宗教の影響を受けながら、異なる文明の中で生きていました。このため今日まで、異なる発展を遂げてきた様々な文学ができました。

吟遊詩人の伝統は、文化の存在において重要な要素の一つです。吟遊詩人は、何世代にもわたる経験を通して形作られた、吟遊詩人になり、吟遊詩人でい続けるために守るべき規則のある伝統の産物です。トルコには、いくつもの起源のある歴史があり、それによる文化的豊かさは、吟遊詩人の詩の伝統にも反映されています。吟遊詩人の伝統は、社会生活において、集団の一体化をもたらします。この伝統の、民衆の共通の思考を言葉にすることで、トルコ文化を守り、生かすことにおいて重要な働きをしています。

トルコ文学は、かなり古い時代にまで遡ります。トルコ人は、イスラム以前の信仰や文化や伝統に属する文学も持っています。イスラム以前のトルコの詩は、文化的なものになる過程において、イスラム文化の影響を受け、そして抒情詩の伝統に結びついた詩が、イスラム的な要素に包まれた新しい形に変化しました。吟遊詩人の文学は、叙事詩人の伝統がアナトリアの生活体系の変化とともに消えていったのと同時に成立しました。

イスラム受け入れ後のアナトリアで発展した文学の全てにおいて、イスラム的世界観が支配的です。15世紀以降、アナトリアでは吟遊詩人の文学の伝統が始まりました。叙事詩人のかわりに吟遊詩人が登場し、コプズ(叙事詩人の用いた弦楽器)の代わりにカラデュゼン、バーラマ、チョウル、タンブラー、ジュラなどの楽器が用いられるようになりました。伝説と歴史が混合した、口承伝統において成立していた叙事詩人の文化は、吟遊詩人の詩のもとになりました。吟遊詩人の詩の伝統は、イスラム、アナトリアとオスマン文化のるつぼで形作られながら、新しい土地に新しい視線で、新しい生活と嗜好に応えるようになりました。 吟遊詩人の文学は広く民衆に呼びかけるものです。吟遊詩人は伝え手であり、まずウスタ・マルと伝統的に呼ばれてきたプロの吟遊詩人の作品を歌い、自分がプロになると、作り手として伝統の枠内で自分の詩を歌います。吟遊詩人の詩は、ふつうインスピレーションを受けて作られ、広められます。

叙事詩人のアナトリアにおける作品は、まだ見つかっていません。アナトリアでできた新しい文化から生まれた吟遊詩人は、アナトリアの遊牧と定住の秩序の産物です。遊牧文化の産物である叙事詩が消えつつあるとき、その地に根ざした人々の抒情詩が現れました。

吟遊詩人は、イスラム以前の信仰に育まれた叙事詩文化の担い手である叙事詩人とは役割を異にします。吟遊詩人は民衆の声や感情や思考を表現する役割を高めました。アナトリアでは、村、小都市そして遊牧地においてイスラム文化の影響を受け、中央アジアのテュルク人とは異なり、大都市の周りにできた高度な文化にも飲み込まれない文化となりました。 19世紀には、詩作文学において地方の影響が強まる中で、詩作文学が身近だった吟遊詩人たちは、詩作文学の影響を受けるようになりました。帝国の分裂、政治的・社会的変化が、吟遊詩人の詩に影響を及ぼすようになりました。吟遊詩人の師匠-弟子の関係が薄れ、イェニチェリの解体、伝統を育む修行僧の宿坊の役割の終焉と解体は、吟遊詩人が育つ源を断ち切る要因となりました。

社会のどの階層や機構にも見られた根源的な変化の一つは、タンジマートとともに現れました。西洋で18世紀に起こったフランス革命は世界を揺るがし、国家主義、自由、平等、権利、正義といった新しい概念が、新しい価値を象徴するようになりました。吟遊詩人の文学も、外に向けたテーマを取り扱うようになりました。

20世紀以降、軍の義務の終わりや修行僧の宿坊の閉鎖とともに、吟遊詩人は保護者を失い、吟遊詩人の文学の衰退が始まりました。

20世紀、西洋文化の影響を受けて新しい生活体系を始めたオスマン社会で、伝統を維持し、社会の発展と変化にそぐわない吟遊詩人たちは、古いやり方では生きていけなくなりました。吟遊詩人は、書いて作った詩に個性を出しながら、新しい作品を記し始めました。

大きな街では、村と都市の文化が共存するようになりました。村から街へやってきて、街での生活がやっとな者の悩みやジレンマが、吟遊詩人の詩のテーマとなり、吟遊詩人の伝統において新しい形を獲得するようになりました。今日の吟遊詩人は伝統から離れる傾向にあります。