1478年にスルタン・メフメト2世によって建立されました。25人のスルタンの支配した広い宮殿は時代と共に複雑に拡大しました。宮殿は比較的小さな建物と部屋が連なり、数多くの庭園と離れから成ります。3つの門があり、正門は〝帝王の門〟第2の門は〝挨拶の門〟第3の門は〝幸福の門〟と呼ばれています。後宮ハレムにはスルタンの妻達、母后、女官達が暮らしていました。宮殿のある丘はビザンチオン時代のアクロポリスの位置にあたります。16世紀には約5000人もの人々が住んでいました。偉大なオスマン帝国の380年間の中心地だったことから世界遺産に選ばれました。

トプカプ宮殿の聖なる剣

伝説によると、トプカプ宮殿にある聖アリの剣が、ときどき不可解にも消えていました。この剣がもとの場所に戻ったときにはいつも血がついていました。その理由は、この不可解な剣が、戦時に戦争に赴いて戦っていたからです。戦いが終わると、血がついた状態で再びトプカプ宮殿のもとの場所に戻っていました。